1998-03-11 第142回国会 衆議院 厚生委員会 第3号
そして、そのときに、帝京大の安部英教授が、自分のところの患者がどうもそうであると。そして翌月、七月にはその患者が亡くなって解剖もされ、そして、重度の日和見感染症を起こしていたという解剖所見も出ていますよね。
そして、そのときに、帝京大の安部英教授が、自分のところの患者がどうもそうであると。そして翌月、七月にはその患者が亡くなって解剖もされ、そして、重度の日和見感染症を起こしていたという解剖所見も出ていますよね。
になるかと思うのですが、環境庁も常にやはり二年とか三年ごとに部署が交代をされて新しい方が新しい部署につかれるわけでございますし、例の薬害エイズ事件でもめたときに、皆さん覚えていらっしゃると思いますが、あれはだれが責任をとるべきかという問題になったときに、役所の一番の認定をした生物製剤課の方が、私たちは専門家ではありません、それを最終決断をできる場所にありませんでしたということで、専門家である、あのときの安部英教授
○国務大臣(菅直人君) 今回の問題、私なりに若干整理をいたしてみますと、捜査そのものは、当日、一日厚生省ということで私、熊本に出ておりまして連絡を取り合ったわけですが、検察庁からの捜査令状には安部英教授の業務上過失致死に関連した捜査ということであったというふうに聞いておりまして、直接そのときの、何といいましょうか、容疑というものが厚生省そのものの容疑にその段階ではなってはいなかったというように承知をいたしております
○北川政府委員 設立時の一億の内訳でございますが、安部英教授が四千七百万、それから冲永荘一、これは帝京大学の学長でございますが、これが一千万、ミドリ十字が一千万、日本臓器製薬一千万、日本トラベノール一千万、カッター・ジャパン一千万、化学及血清療法研究所三百万、合計一億、こうなっております。